松本電鉄(会田線)のダイヤ改正
ずいぶん前の話だが、信州は旧明科町(現安曇野市)のバスの話。
公式ページには、1月1日より、になっているんだが、正月は全休なので5日から運転した、ということのようだ。
松本電鉄は5日、松本市四賀地区を通り、市が赤字分を公費負担する一般生活バス路線「会田線」(保福寺下町−JR明科駅)で、新ダイヤの運行を始めた。
同線は平日のみ、午前7時35分保福寺下町発と、午後4時20分明科駅(安曇野市)発の往復1便を運行。加えて、地区内にある会田中生徒の通学のため、朝は短縮したルートも走る。
四賀地区内を運行する市営バス「四賀線」の改正ダイヤも始まった。同市と長野市を結ぶ高速バスに連絡するため、長野道四賀バス停近くに大木戸停留所を新設して四賀線を一部延長。入浴施設のある松茸山荘を通る路線も新設した。
さて、この会田線・・・なんて信州の片田舎(というほど田舎でもないけど)の路線をあげるは、単に学生のころ、その山を降りた明科に半定住してはバスに乗っていたからで、なじみのある路線だから、という個人的な理由だけなんだけれども、それにしてもこんなに減ってしまうものなんだなあ、と改めて思うわけだ。
手元に、平成7年7月の時刻表があったので転記してみる。明科、は明科駅前、下町、は保福寺下町。
明科 | 会田 | 両瀬 | 向原 | 下町 | 下町 | 向原 | 両瀬 | 会田 | 駅前 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
0655 | 0712 | 0636 | 0642 | 0646 | 0705 | ||||
0748 | 0807 | 0647 | → | → | 0706 | 0725 | |||
0810 | 0829 | 0833 | 0716 | 0735 | |||||
1105 | 1124 | 1128 | 1134 | 0811 | 0830 | ||||
1332 | 1351 | → | → | 1410 | 0847 | 0851 | 0910 | ||
1500 | 1519 | 1523 | 1141 | 1147 | 1151 | 1210 | |||
1620 | 1639 | 1412 | → | → | 1431 | 1450 | |||
1730 | 1749 | → | → | 1808 | 1532 | 1536 | 1555 | ||
1811 | 1830 | 1834 | 1840 | 1701 | 1720 | ||||
1830 | → | → | 1849 | 1840 | 1845 | 1849 | 1906 | ||
1920 | 1927 | 1941 | 1946 | ||||||
2045 | 2102 |
以上は平日の時刻だが、このときは土日も7〜8往復の運行が行われていた。昭和40年代にはさらに小胡桃などへの便もあったようだが、通勤通学用に残ったのが上記のダイヤだったのだ。確かに、このときから会田より先へはそんなにお客さんがいなかったような気がするんだが。
しかし、それにしても今回の時刻改訂はちょっとびっくりだ。赤字を自治体が負担するにしろ、区間便を含めて1日2往復というのは・・・ねえ、実質スクールバス、という扱いなんだろうなあ。
一方で、安曇野市はコミュニティバスを旧明科町、旧豊科町から引き継ぎ、デマンド交通システムに移行させつつある。旅行者には使いにくいけれども、福祉の足としてはそっちのほうが便利だろう。こういう風に、だんだん交通機関というものが変わっていき、本当に弱者の足という位置づけになってくんだろうなあ、とか考えるのだ。
税金という限られた原資でどんなサービスが可能か、そう考えたら英断だなあと思うのだ。
「『あづみん』がなかったら暮らしていけないよ」
年金で生活する安曇野市穂高牧の鳥原正子さん(89)が顔をほころばせる。通院などで月に4日ほど、同市の乗り合いタクシー「あづみん」を利用。若いころと違い、長い距離はとても歩けない。平日は、同居する家族も仕事があるため、送ってくれとは言えない。
「家の玄関まで来てくれる。料金も安い。本当に助かるねえ」
乗車の30分前までに、電話で予約する。「家の電話番号が登録されていて、住所の説明もいらない。ありがたい。運転手さんとの会話も楽しみです」と目を細めた。
片道300円(障害者手帳保有者は100円)で、同市豊科の中心地まで行ける。
「最大の特徴は“面”で移動できること」と強調するのは同市企画政策課の猿田久雄課長補佐。固定したルートを走る路線バスと異なり、あづみんは道が通っていれば、要望に応じ市内全域を走る。5町村が合併した同市では、1965年に17路線あった民間バスは合併時に1路線にまで減少した。旧豊科町、堀金村、明科町には代替バスが走っていたが、地域間の連携は取れていなかった。そこで全市民が利用でき、市内全域を運行する公共交通システムを導入した。今では全国から月平均4回も「あづみん」を視察に来るほど注目度は高い。