志免鉱業所 竪坑櫓

ちなみにこれは昨日の話、そして6月の話。
イオンモールのほうに向かっていくと、山ひとつとなりの上にコンクリートの大きな櫓が見えてくる。有名な、旧志免鉱業所の竪鉱櫓だ。google mapで見てみると、長い長い影がその形を映し出している。1943年竣工、高さ53.6mの巨大な灰色の廃墟がすっくと立ち上がっている様子は、なんだろう、周りと切り離されて生きる巨木のようだ。


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イオンモールの駐車場屋上から遠望。どちらも中途半端に高さがあるせいか、あんまり見下ろしている感はないが、やはり大きい。

駐車場からだと、眼下にはちょっと古めのロードサイトの郊外店とか古めの工場とかがあってなんとなくなじんで見えるんだが、周囲は大きなベッドタウンで、まわりを走っているとこんな感じだ。

ぐるっと回って小高い丘の上、町の綺麗な総合施設の駐車場の向こうに櫓は聳え立つ。まわりは公園になっていて、土日は子供の姿が絶えない。

この竪坑櫓とその周囲は、NEDOから町に譲渡され、現在は志免町により所有管理されている。町では厳しい財政状況もかんがみて「できるだけ費用をかけないで現状のまま保存する」という意向(参考:志免町ウェブサイト)の様で、年間100万円で保険や草刈など最低限の経費だけを計上しつつ、まわりを囲って安全地帯を設けて倒壊に備えることで対応しているようだ。

フェンスとつたとコンクリートのハーモニー。なんだかフェンスの具合が、横浜はドリームランドにあったホテルエンパイアを思い出してしまうんだが、あちらは再利用の路を歩み、こちらはただ朽ちていこうとしている。あと何十年か、この姿を見せてくれるのだろうか。

見ての通り、もともとのグランドレベルからかなり埋められているようで、電柱の頭だけがでているのもなかなかいい光景だ。

もともとこの丘の上には志免炭鉱が広がっており、山の下には炭住がひしめき合い、商店街は山のおっかさんたちでいっぱいだった。鉄道もひかれ、ここから石炭列車がでていっていたという。そんな風景はすっかり姿を消し、ちょうど日本の産業構造が第三次産業に寄っていくように、このまわりは「勤め人」たちの住宅で埋め尽くされてしまいつつある。

リンクさせていただいたが、1983年の航空写真が掲載されている。使われてない炭鉱施設、そして上のほうには国鉄勝田線の志免駅。もうこうしてみると完全に一昔もふた昔もまえの出来事だ。このころは、だれがこのあたりが福岡有数の商業の中心に(しかも一企業の力で)なると予想しただろうか。

 勝田線は福岡都市域にあったにもかかわらず、国鉄の無策さゆえに消えていったという。きっと今あればLRTとか全く変わった形になっていただろう。なんとも不思議なものだ。