権兵衛トンネル開通

駒ヶ根に登山に行って、秋葉街道でえらい目にあったのはついぞこの前だったような気がするんですが、そう、木曽のR19と伊那谷って近くて遠いんですよね.周知の通り、道はアレだし.


中央アルプスに隔てられた長野県の伊那谷と木曽谷をつなぐ権兵衛トンネルが四日開通し、これまで近くて遠かった二つの谷が短時間で、しかも通年で行き来できるようになった。
 トンネルは南箕輪村塩尻市奈良井間の延長四千四百六十七メートル。無料のトンネルとしては全国で三番目に長い。国が一九九八年から約四百五十億円をかけて工事。江戸時代に木曽の古畑権兵衛が街道を開削した権兵衛峠直下の標高一、一〇〇メートル前後を貫いた。
 峠は、岐阜県高山市と長野県高遠町を結ぶ国道361号の中でも狭い山道で冬期閉鎖される難所だった。
 従来、一時間半かかった伊那市と木曽町の市街地間が約四十五分で結ばれ、二つの谷の交流促進や都市圏からの観光客誘致に期待がかかる。
R361権兵衛峠にもうずっと穿っていた権兵衛トンネルがようやく供用開始になった、という話です.個人的には、旧道361がどうなるのかが気になるところ、旧道は静かな山間の道に戻っていくんでしょうか.一度走りに行きたいなあ、と思っています.一応林道なので廃道にはならないと思っていますが、昨年から台風の影響の通行止めが続いており、先が気になるところではあります.

昔々、伊那と木曽との間にわずかに人だけが通う険しい峠道がありました。
 ある者は転倒し、鍋を欠いたことから「鍋懸峠」と呼ばれました。
 この峠を馬の通える峠に整備し、米不足の木曽へ伊那の米を運ぼうと、木曽町日義神谷の牛方、古畑権兵衛は木曽11宿にこの峠の開発を呼び掛け、自らも進んで工事を進めました。伊那側では木曽の助郷人馬役(中山道経営のための労働提供)の割り当てを恐れ、初めは開発に消極的でしたが、ついには伊那側15ヶ村の協力により元禄9年(1696)に完成したのです。
 以後、伊那からは大量の米が、木曽からは漆器などが運ばれました。以来この峠はいつしか「権兵衛峠」、峠への道は「米の道」と呼ばれるようになったのです。

おそらくこのときの道は、伊那側からだと北沢から一気に上っていく道でしょうか.地形図を見ると点線で登山道が描いてありますが、よく見ると茶色に着色されています.登山道だけども国道だったんですね.上の記事にも出ている「冬季閉鎖になる車道」はもちろんその北側を長い長いスパンで等高線に沿うように走っている道なんですが、こっちも道幅はたいがいのようです.で、たしか林道を暫定的に国道に編入してつかっていたものだと思います.点線国道とかそのへんでぐぐってみたらいろいろ出てきますので、お好きな方はどうぞ.
さて、昔からこうして人の暮らしを変えてきた峠道、またこれで伊那、木曽双方の暮らしが変わっていくんでしょう.商業規模としては木曽側よりも伊那側の方が集客力がある店舗がそろっています.左右に市場が狭く、塩尻から中津川まで目立った商業施設のない木曽側はさらに店がなくなったりするのかなあ、と思います.観光とかは便利になるかもしれませんが、木曽らしさとか伊那らしさ、特にカラーのまったく違う二つの社会が接することになるわけで、どうなるのかなあ、とか思っています.多分いろんな問題も徐々に出てくるでしょうが、飲まれないで欲しいなあと思うのです.


権兵衛トンネルの開通は、木曽と伊那の2つの谷の流れにとどまらない。北陸から高山、木曽、伊那、高遠の国道361号、高遠から国道152号を経て上村、南信濃、さらに三遠南信で静岡へと通じる日本海側から太平洋側を結ぶルートに風穴を開け、日本横断する流れが生まれる
さすがにこれは言いすぎじゃないかと思いますけどね.