東京メトロ、ちょっとついでに

sa-502005-05-07

午後から池袋に本を買いに出たんですが、ついでにスタンプラリーをやりつつ池袋に向かいます.4/23の続きになりますね.(id:sa-50:20050423#p3)

  • 千川

練馬区から豊島区に入り、かなりゆったりしたつくりの要町通りの下を有楽町線は走ります.とりあえず千川駅までは自転車で向かったのですが、小竹向原あたりは本通りから1本入ると複雑に路地が入り組んでいて、田園地帯がそのまま住宅地に変貌したという感じなんですが、千川駅近くで直交する千川通りより西側はほぼ規則正しい、数メートル幅の通りで規則正しく仕切られてます.おそらくこの先が太平洋戦争で空襲にあった地域になるんじゃないかと.(ソース:MID-TOKYOMAPS



そんなところをうろうろしていると、ランドマークになっている水道タンクが.
ついでに、その裏側には板橋交通公園が.狭い公園ながら結構子供たちがいっぱいいました.そうねえ、こんな都心じゃ安心して自転車遊びとかできないもんねえ.



板橋交通公園、子供たちに囲まれて余命をすごしていました
千川、つうと千川上水なんですが今は暗渠化されています.かわりにスタンプは"粟島神社".どこ?

  • 要町


1930年代には、要町、長崎周辺に美術家が多数集まり、パルテノンやモンパルナスと呼ばれ、一大芸術村ができましたが、それらも第二次大戦の空襲によりほとんどが焼け野原となり、そして戦後、現在の池袋駅周辺に、ヤミ取引のための木造バラックの市場が誕生した。

駅を上がると山手通りとの交差点、地下を走る首都高速の工事の真っ最中.ココまで来るともう住宅地の匂いはありません.ビルの向こうに池袋のビル街が.


いや、サロンですからなんてったって
歩いていくと間に立教大学があるんですが、これを越えるといつもの繁華街、池袋がある訳でなんか不思議な気分です.ただこうして歩いてみるとなるほど都市の中心部に向かって集積度が増していく様子がよく分かりますな.そういや江戸川乱歩邸って立教大学の中にあるんだっけ、わからずに池袋についてしまいました.


こっちは大学

  • 池袋

池袋のシンボル、つうと「ふくろう」なんだそうですが、その「ふくろう」像を東京に来て4年目にして始めてハケーンしました.誰も待ち合わせに使わない様な人の流れの一番激しいところにあるのはなんででしょうなあ.待ち合わせといえばまだ東口の母子像の方がメジャーかしら.



池、ふくろうで池袋、でしたっけ

その昔、池袋は学園都市だった。いまの池袋からは想像もつかないだろう。西口メトロポリタンプラザの入り口に鉄道機関車の動輪が置かれた碑があり、ここに大きな鉄道教習学校があったことを伝えている。それはとても大きなキャンパスで、たくさんの鉄道マンを輩出したという。彼らこそ、まさに日本の近代を築いた人たちだろう。さらに、ここは成蹊学園発祥の地であったとも記されている。
また、西口公園、東京芸術劇場あたりには、いまの学芸大学の前身である豊島師範学校があった。教育者を育てる専門校だから、やはり日本の近代化を推進する多くの人材がそこから育っていったに違いない。でも、いまやその面影はまったくない。人気小説『池袋ウェストゲートパーク』(石田衣良)がTVドラマ化されて、いまの西口公園界隈はそのイメージの方が強くなっている。
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
つうか、その辺は知らなかったのでまた今度.俺的にはビックカメラとかジュンク堂書店とかいつも来る町でしかないんだけど、そこにいろんな歴史があるというのは気に留めておくと面白いんだろうか.ググってみると色々あるもんで、フランクロイド・ライトの"自由学園"なんて全然知らなかったよ(ソース:リスペクト、東京建築。).


池袋から一駅でまた降りてみます.池袋駅からサンシャインを越えたあたりで、この辺まではあんまり来ないんだがハンズなどへは本当はこっちのほうが便利かもしれません.出るとそこは都電の駅とバスの転回場、高速下のなんか殺伐とした空間なんですが、都電を待つ人が結構いるのがびっくり.


おお、向こうにはサンシャイン。こっちからはよく見えます。

こっちは都電.道の拡張かなんかあるのか線路の両側は広大な空き地

駅からちょっと歩くと雑司ヶ谷の都営霊園.昔からある都営霊園ということで、有名人のお墓も数多くあるということなんだが、うーん、歩き回るだけじゃ分かんないなあ.今度調べてまた来る事にします.


永井荷風(1種1号7側)
小泉八雲(1種1号8側)
泉鏡花(1種1号13側)
夏目漱石(1種14号1側)
竹久夢二(1種8号9側)
ジョン万次郎(1種15号19側)
東條英機(1種1号12側)
金田一京助(1種22号5側)
サトウハチロー(1種5号25側)

霊園から旧宣教師館を経て、狭い路地を右へ左へ縫うようにしていくと急に視界が開けます.



こんな蔵のある家も.
宣教師館も今度きてみよう.


途中の歩道橋.いやいい味のフォントですな
こうしてみると山手線の内側って坂が多いんだな、つうのを実感するんですが、眼下にはビルに混じってどう見ても戦前の建物とかが混じっていて、はてこの辺は空襲の難を逃れた数少ない地域なんですね.降りていくとスポーツで有名な日大豊山高校があって、裏の大きなお寺が護国寺.その横が護国寺駅


駅を裏側から
護国寺徳川綱吉ゆかりの寺院で、戦災にも遭わず残っている数少ない寺院、境内には大隈重信山縣有朋他のお墓も…って、さすが東京だなあと変なところで感動してしまう訳ですよ.時間が時間だったのでお墓は見ませんでしたが.


我輩は猫である


ここでタイムアップ、全行程あわせても2時間程度の寄り道でしょうか.一応これで山手線の内側に入ることができたわけで、まあ満足です.それにしても、この辺は東京の中でも比較的俺の住んでいるところに近いところで、大体ふいんき、いや雰囲気はつかんでいたと思っていたんですが、ざっと歩いただけでもいろんな顔が見えてくるもんです.そういう町の中を縫うように地下鉄は走っている、いろんなものを乗せて.