黒潮のはてに子らありて

・・・とか離島のことばっかり探しているからまた読んでるんだが、ええですよ。伊豆七島の最南端にある青ヶ島に赴任した小学校教師の話なんだがな。


・・・1954年現在約100世帯380人に減少している。島外との交通は月1回東京からの舟分だけで、港が無いので神子浦に停泊して、はしけだけで連絡し、冬季3・4ヶ月は欠航する。冬眠の主食はサツマイモとサトイモで、野菜も乏しく、米は配給をうける。電気、水道は無く、ランプと天水にたより、住居は畳が無い。ラジオ数台を持つのみで、通信は無電による。、港がないため漁業も自給程度をでず、木炭と牛の移出でわずかに現金収入を得る。(中略)1954年11月の調査によれば、近親結婚は意外と少ないようである。
日本における選挙権を行使し得ない唯一の地区。
今でも青ヶ島村は日本最小の地方自治体だったはずだ。そんな社会もあった、あるんだなあとふと考えたりもする。
うーん、離島に住みたいなあ、てのは単なる現実逃避なんだけどな。

  • 黒潮の果てに子らありて〜青ヶ島教師十年の記録〜 高津 勉 著:鏡浦書房 1961