印刷解体


活字を拾う、版を組む。こうした言葉の背景さえ知られることなく、二〇世紀の印刷物、つyまり情報や表現行為を支えてきた技術や道具たちは、ひっそりと姿を消そうとしています▼「印刷解体」−旧来の印刷がもはや解体状況にあるいま、印刷を構成してきた要素を解体してして、その一つ一つをごらんいただこうと思います▼人に代わってたくさんの、到底数え切れない言葉を伝えてきたモノたちが語りかけてくるもの。今度は私たちが、耳を傾けてみようではありませんか。
昔から、そこに印刷されている内容はもとよりその印刷物そのものの質感とかも好きだったのだが、そういう人にはたまらなく、またそういう技術がひっそりとこの日本国内では使命を終えようとしていることに対して無性に悲しくなる、そんな企画展。
初日だったからか、20坪くらいのギャラリーはけっこう一杯だった。たぶん目玉は「自分で活字台から自分の好きな活字を拾って購入できる」ということなんだろうが、ほしかった「五号以下の明朝体漢字」がなくて買わず。ただし「小川町局/料金別納郵便」の印刷原版用活字を購入。

しかし、「写植」もいまや殆ど絶滅しかけてる、というのを恥ずかしながらはじめて知った。


ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子に座った人の所へ行っておじぎをしました。その人はしばらく棚をさがしてから、「これだけ拾って行けるかね。」と云いながら、一枚の紙切れを渡しました。ジョバンニはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たい函をとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁の隅の所へしゃがみ込むと小さなピンセットでまるで粟粒ぐらいの活字を次から次と拾いはじめました。青い胸あてをした人がジョバンニのうしろを通りながら、「よう、虫めがね君、お早う。」と云いますと、近くの四五人の人たちが声もたてずこっちも向かずに冷くわらいました。
 ジョバンニは何べんも眼を拭いながら活字をだんだんひろいました。
 六時がうってしばらくたったころ、ジョバンニは拾った活字をいっぱいに入れた平たい箱をもういちど手にもった紙きれと引き合せてから、さっきの卓子の人へ持って来ました。その人は黙ってそれを受け取って微かにうなずきました。
 ジョバンニはおじぎをすると扉をあけてさっきの計算台のところに来ました。するとさっきの白服を着た人がやっぱりだまって小さな銀貨を一つジョバンニに渡しました。ジョバンニは俄かに顔いろがよくなって威勢よくおじぎをすると台の下に置いた鞄をもっておもてへ飛びだしました。それから元気よく口笛を吹きながらパン屋へ寄ってパンの塊を一つと角砂糖を一袋買いますと一目散に走りだしました。
引用してみたんだが、このモニター上に投影されている(液晶モニタなので投影ですらないのか)、MSPゴシック(10p)が薄っぺらに見えることだろう。横にある、古びた文庫本のかすれた明朝体のなんと重圧な事か。うっすらと黄ばんだ紙はぼんやりと印刷所の中で明滅する白熱灯を、ところどころかすれた、セリフの多い小さな活字はぼんやりと暗く、明かりの届かない部屋の隅で揺れる影のようではないか。