8月15日、長崎

なんだかんだと、夏らしい夏がこないままに8月15日、お盆も終わる日がやってきた。今年は曜日周りの関係で明日までがお盆休みということになるんだろうが、もう夏が終わってゆく。
今日は終戦記念日靖国神社は今年も多くの人で賑わっていることだろう。個人を偲ぶ人、戦争を偲ぶ人、政治的な意図で来る人/これない人、自己主張のために来る人、そして報道しに来る人。形は様々あるだろうが、今の形は中途半端だ、靖国神社に行くとそう思うのだけれども。

さて、そんな8月15日、午前中に実家の墓参を済ませて、所要で14時過ぎの特急かもめに乗り長崎へ。行く人帰る人、今日はまだそんなに混んでいないかもめ号、乗ってしばらくすると眠りに落ちてしまった。

ふと目を覚ますと有明海、熱線吸収の黒い窓ガラスの向こうの景色はどこまでも青い。かもめはカーブに車体を揺らしながら、町を通り過ぎてゆく。途中ぱらぱらと乗り降りがあったようで、隣の席の人もいつのまにか変わっていた。海を過ぎると諫早島原鉄道気動車を見てすすみ、やがて山を越えると長崎の街だ。

浦上で下車。8月、というと終戦記念日よりも長崎原爆忌の方がイメージに残っている九州人。浦上、というと原爆投下地点に程近いというのは印象に残っている。そんな街も、いまはそんな面影もなく、いまを生きている町並みが広がっている。蝉の声を掻き消すように、アスファルトの熱気に車の音。


バス停にはこんな貼り紙。今日は8月15日、精霊流しの日だ。そういえば、蝉の声・・・じゃなかった、時々爆竹の爆音が聞こえてくる。


カーン、カーン。「どーい、どい」。

学生の頃、学生の友人たちと見たんだっけか。夜の街を覆う耳を劈くような爆音、騒乱状態のような高揚感、騒がしい不思議な祭りだなあ、と感じたこと、夜の繁華街で爆竹を持った男に追いかけられた(!)ことを思い出した。

精霊流しは、上記の通りお祭り、ではなく死者を弔うお盆の行事に過ぎない。行事の向こうにはなくなった方々の顔が見える、この日の長崎は日本で一番死者に近い街だ。

喪主の方だろうか、提灯を持った喪服姿の方を先頭に遺影を掲げた精霊船が爆竹を鳴らしながら進む。西方丸と呼ばれる精霊船の帆には大きく「南無阿弥陀仏」。浄土はすぐそばにあるかのようだ。

さて、そんな長崎市内、だんだん夕方になるにつれてにぎやかになってくるのだろうが、街はあくまでいつもどおりだ。路面電車が縦横無尽に走り回る。それにしても長崎の市電ってクラシカルな車両がまだ多いよねえ。昭和28年製の300型が陽炎の向こうからやってくる。


そんな合間にも爆竹の爆音が。まだ4時前、西の国の日差しはまだまだ強い。