吉塚商店街

会社の帰り、病院にいくために博多の次の吉塚で途中下車。駅から山側、裏口・・・になるのかな、数分歩いて大通りを越えたあたり、ふっと横を見ると路地の先にアーケードの入り口が見えた。

ちょうど19時なんだが、大通りは車通りこそ多いものの歩く人はほとんどいない。ただ、路地のほうではお店の後片付けとかをやっている時間のようだ。隣の食堂では、仕事が終わったお店の人だろうか、談笑してるのがちらりとみえた。

ほとんどの店のシャッターはもう下りてしまっているが、まだ八百屋さんとかは最後の商売中、あと片づけ中。奥のほうに「ゆ」の看板が見えるが、明治からその姿を残すという「若桜湯」。

残念なことに、お客さんが減少していたところに、西方沖地震の影響で水漏れが激しくなり、廃業してしまったという。

商店街の通路は人二人がやっとという幅しかない。若桜湯が明治から続いているように、店舗もかなり年代もののようで、老朽化が激しいといえばその通りだ。

商店街の反対側の入り口の裏になぜか2枚の琺瑯看板がはってあった。「たんせきぜんそく良薬 龍角散」「子宮病 血の道 薬 中将湯」何でこんなに高いところに・・・あと、今写真を見ていて気づいたんだが、右側の黄色い看板「ラビットスクーター」ではなかろうか。戦後すぐのものだ。多分。


アーケードをこえても狭い商店街は続いていた、目の前がぼんやりとしか見えない暗さの中、ところどころまばゆいばかりの明かりが路上にこぼれている。まばゆいばかり、といっても明かりの元は白熱電球で、そんなに明るいわけではないんだろうが、その下の八百屋で最後に残った枝豆を買う。どこかからNHKラジオの7時のニュースが流れてきた。どっかの昭和レトロのテーマパークなんて目でもない。どうみても昭和30年代ではないか、ここは。

アーケードの途中から分岐があって、なおアーケードが続いている。こちらも生鮮食料品店が並んでいるが、中には「週3日開店」とか書いてある店もあり、お客さんが多いというわけではなさそうだ。空き店舗と思しき場所が、休憩所のようになっているのも見受けられる。堂々とした風格だが、いつまでこの姿でいられるのだろうか。


昭和の香り漂う、というが、昭和どころか大正とかでも通じそうな味のある商店街だ。きっと日中はおばちゃんとの掛け合いとか、威勢のいい声が聞けたりなんかするんだろう。今の状況に対して商店街も決して手をこまねいているというわけではなさそうで、毎週土曜日には「百円均一祭」「吉塚市場大学」なる催しのチラシがあちらこちらに貼ってあった。お客さんとの接点を大事に、ということで、いつもいけるのなら参加してみると面白いかもしれない。しかし、知らないとやはり入りづらいし、駅前の深夜までやっているスーパーマーケットのほうが明るくて買いやすく、時間も気にしなくていい。そう考えると、世の中の流れというのもあるよなあ、と当たり前のことをまた考えてしまうのだった。昔ならこういう商店街の中にスーパーがあったりして、お客さんもそこで比較検討ができたりしたのだが、そういうスーパーもどんどん減っていっているという。スーパーでしか買い物ができない、というのは決して豊かな買い物環境ではないと思うのだが、それが現状なのかもしれない。そういえばこの吉塚商店街の核店舗ってどれなんだろう。本当に小商圏の商店街なのかなあ、と残念に思うのだ。
 いろんな試みをやっていても、やはり「お客さん」をよべないと商売としてやってゆけない。便利で、安く、楽しい買い物環境・・・が提供できればいいんだろうけれども、そういう意味でも商店街の店舗を応援したくなるのだ。

 枝豆、美味でした。