八女ふらふら〜3

さてずいぶん前の話だが、八女ふらふらの続き。ちなみに1、はid:sa-50:080812、2、はid:sa-50:080813。

福島のバス停からしばらく行ったところで、道は整備された2車線道路とぶつかる。並木つきの歩道が整備されていて、これまでとはちょっと違う雰囲気だ。この道を南下して、国鉄筑後福島駅跡を目指す。周りは落ちついた田舎の住宅地、といった風情。



福島は明治に入っても往還道路沿いの町並みは依然として中心街として栄えたが、徐々に近代化の洗礼を受けることとなった。明治後期に入るとまちの北側に西から東へ国道442号、東側に北から南に国道3号が整備され、国鉄(現JR)羽犬塚駅から「馬車軌道」や久留米から「電気軌道」が通じ、交通網の整備や手段により国道442号と国道3号が交わる土橋(どばし)が八女の地の玄関口として栄えることとなった。その繁栄は戦後まで続いたが、昭和40年代以降には国道3号のバイパスの完成、九州自動車道八女インターの開設、国鉄(現JR)矢部線の廃止、福島を四角に囲む環状線道路の完成などにより車中心のまちの骨格が形成された。
この道もその環状路の一つらしい。車の通行量は多いが、路線バスは殆ど走っておらず、こんな時間ながらもうちょうど郊外に向かう終バスが追い抜いていった。

新しい住宅に混じって、ぽつぽつと昔ながらの農家が点在する。


市の南部にいくと、コンビニやイオン系のスーパーマーケットが立地している。そういえばこういう街って中心部にコンビニが、というかコンビニすら、ないよなあ、という気がするんだが。マチ中で何か用事を済ますことも出来ないし、ふらりと立ち寄る場所もない、ともなると活性化といっても、という気すら。


大汗を流しながら、旧筑後福島駅近くの藤棚でちょっと一息。保存車両はなくなっていた。

DE10と旧型客車があったと記憶しているんだが、今は廃止後設置されたような踏切警報機と、車両を展示していた後と思しきホーム様のコンクリートの構造物があるだけだった。近所の子供だろうか、野球をしていたりして、のどかな平日の夕方だ。

そしてまだ続く・・・