東京3日目

7時起床、両親のホテルへ車で直行。大手町の銀行の正面入り口に国旗が翻っていて、今日は祝日なんだと再確認、しかし凛と、ひっそりとしていていい朝だ。その後霞ヶ関で、右翼のバスが一列に路駐をしているのをみて今日が建国記念日だと気づいた次第。


宮廷ホームから。

母親が「昔住んでいたところが見たい」というので叔父と原宿へ。「駅のすぐ前だった」とは聞いていたが、原宿駅から本当に徒歩5分、宮廷ホームのすぐ隣だった様子。もう50年も前のこと、戦後間もない頃で「原宿駅は、電車が着いても数人しか降りないようなさびしい駅で駅前にはタバコ屋が一軒あるきりだった」とか「夕方になると真っ暗だった」とか言うが、もちろん今となっては全く面影もないというのはいうまでもない。ただ、宮廷ホームの門の前に立つと「そうそう!この門だった!」とか、そこから下っていく坂道で雪が降るとそりすべりをしたとかいうのを聞いて、やっぱりまだかわらないものがあるんだなあ、とちょっと感動。

ちょうどこの時代の空中写真(米軍撮影)が公開されている。確かに原宿駅明治神宮の一部のように取り込まれていてさびしそう。ちなみに原宿に住んでいた理由は、祖父が銀行勤めで社宅があった旨。空中写真では空き地だらけなのだが、これは焼け跡だったのか、それとも田園地帯だったのか・・・?

このあたりは1964年の東京オリンピックで決定的にかわった、とは叔父の話。今池袋から地下鉄が伸びようとしていて、またすこし街の姿は変わるだろう。多分もう来ることはないんだろうが、どんな記憶にのこったんだろうか。

その後皇居あたりをうろうろ、本当にいい天気で観光客と日章旗を持ったその筋の人が入り混じりつつものどかな雰囲気。そのまま羽田空港へ。おぼつかない食事を手伝って、北海道の大雪の影響で70分遅れの飛行機を待合室でじっと待つ。外はいい天気だ。


「いや、ホントいやな世の中」
「まぁでも、ええほうじゃよ」
母親に手を引かれながら手荷物検査所のゲートの向こうに消えていく父親の姿を目で追っていると、小津安二郎監督の「東京物語」の台詞が思い起こされる。両親にとってこの旅行はいい旅行になってくれたのだろうか。

ちなみに、当初から70分遅れと案内されていた当該福岡行(15:05発→17:00着)は、さらに90分程遅れたらしい。お疲れ様。ありがとう。