廃線跡を歩いてみる

時計を見ると、折り返してくるバスまで20分ほどあります.線路に沿って次駅の宮地岳まで歩いてみることにしました.線路はそのまま残っていますが、踏み切りはさすがに取り払われていました.ただ簡単な柵がしてあるだけで、踏切もレールが残っているところが大部分です.この前来た時にはのんびりと電車に追い抜かれながら歩いたものなのになあ、と思うとなんか不思議な気分ですね.狭い集落を歩いていくと15分ほどで宮地岳駅に付きました.
同じように駅には板が打ち付けられ、バス停は「宮司三丁目」と名前が変わっています.ホームの向こうの線路上には重機がいる所を見ると、線路の撤去が進んでいるのでしょう.

宮地岳からすこし福間よりに行くと、田んぼの中に一本の築堤が宮地岳神社を目指して走っているのが見えます.1939年に廃止になった津屋崎軌道跡、その後この宮地岳線を1951年に津屋崎まで延長させるにあたっては、地元の人が線路敷地を無償提供したともいいます.そんな鉄道も、わずか50年強で使命を終えてしまいました.替わりに走り出したバスも高くて、遅くて、少ないし、そもそも人の動きにはあっていないような気がします.何回かバスを見ましたが、どのバスもがらがらでした.朝夕とか通勤時間帯は違うのかもしれませんけれど、じきになくなってしまうんじゃないかと実は心配です.そのとき、その流れに合わずに地味に電車を使っていた人たちはどうなってしまうんだろう、そんなことを心配するのは心配しすぎなのかたんなるマニアなんでしょうか.
ただ、この町にはもう電車は来ません.海沿いの小さな集落、別に電車がなくなっても日々の暮らしにはあんまり関係ないんだろうけれども、なにかみんなで共有していた「特別なもの」が一つなくなってしまったような気がして、寂しいです.