東京、というところ

また秋が来て、冬が来れば東京に来て5年が過ぎるんだなあ、とふと考えました.
sosnaさんの"Красная площадь/赤の広場"より.4


東京での生活も8年目になる。だがいまだに、東京という土地にあまり愛着が湧かない。
sosnaさんのコメント欄にも寄せてもらったのですが、俺も東京という街をいまだに掴みかねているわけで、未だに学生のころに住んでいた京都や松本に行くと、街の大きさが丁度気持ちいい訳です.実家のある福岡もそうですね.そういえばsosnaさんと実家の距離って数キロしかたぶん離れてなさそうなんですが、それはそれで.
東京って便利だし、刺激が多いのは確かなんですが、大きすぎて目的の取捨選択を迫ってくるような気がするんですよね.特に目的も無くぶらぶらしていると掴みきれないノイズが大きすぎるというか.対して、東京生まれの東京育ちの人ほど、東京を小さい街の集合体と見ているようですね.

「ほら、あそこんところの娘さん、反対されてたけどあのひとと結婚しちゃったじゃない.」
「ああ、あそこねえ.お相手がちょっとねえ.」
「環七の向こうに引っ越しちゃったのよ.もううちのひとなんか環七はまたがせないって」
「ああ、そうねえ」

帰りの深夜バスの中でこんな会話を聞きました.生活圏の区切りが幹線道路になるってのは今的ですが、家を捨てて遠くの村に嫁に行ったようなもんなんでしょうねえ.

まちおこし、街の大きさをどう捕らえるのか、どの範囲までを街と考えるかによってやり方が変わってくるんでしょうが、この辺はまた.