阪急梅田駅解体

関西に住んでいるときもあまり乗ることは無かったんですが、大阪の中で好きな場所の一つが阪急梅田駅界隈でした.重厚な阪急百貨店の外壁、"HANKYU DEPARTMENT STORE"の白熱球サイン、そして昭和初期、伊藤忠太の大壁画とアーチ天井、シャンデリアが残る連絡通路.
そんな連絡通路、もう一度行こうと思ってたのですが、解体されてしまいました.K君の結婚式で行った5月が最後だったなあ.


アーチ形の天井とモザイク壁画、シャンデリア……。欧風の格調高い雰囲気で80年近く大阪への通勤客や買い物客らに親しまれてきた阪急百貨店梅田本店のコンコースが、消える。百貨店の建て替え工事の準備で、北側部分に続き、残った南側も13日からパネルで覆われ、見えなくなる。失われゆく〈昭和モダン〉のきらびやかな空間に惜しむ声が上がっている。
 コンコースは1929年(昭和4年)、阪急梅田駅と百貨店が隣接して完成したときに誕生した。京都の平安神宮や東京の明治神宮を設計した伊東忠太が手がけ、ドームのような天井に施された装飾や、竜やペガサス、獅子、鳳凰(ほうおう)の壁画がキタのターミナルを行き交う人たちを見おろし、梅田駅が71年に北側に移設された後もそのまま残った。
本当に残せなかったものなんでしょうか.とても残念です・・・って、前にも書きましたけど(id:sa-50:20050208)、それくらい残念.何年も何年もひたすら積み重ねた時間がここまで街の中に濃密に残った空間ってなかなかない、それがいいかたちで残っていたのは本当に貴重だったなあと思います.白々とした明かりに照らされた東京駅のコンコース、雑然として店舗や看板にさえぎられて見通しのきかない上野駅の大壁画前、そんなところとは比べ物にならないくらい異質な空間でした.年をとって、昔のままの空間がふっと広がってるってどんな気持ちなんだろ。親子で同じ風景を見ながら通学した、とか、いや80年なら3世代

ターミナル駅、そしてデパートといえば一番都市の顔になる部分、東京だったら東京駅丸の内口で、銀座の三越あたりになると思うんですが、東京はそう考えると比較的のこっているような気がします(丸ビルはなくなったけど).大阪の人ってそのあたりが淡白なのかなあ.

阪急百貨店を含む阪急梅田ビルは建て替えられ、41階建のオフィス棟を含む建物として生まれ変わることになります.百貨店部分の面積は6万平方メートルから若干増加して8万平方メートルに、おもったよりも大きくなるわけではなさそうです。結構普通のビルになってしまいそうな気もしますが・・・

外部リンク:FromOSAKA写真別館の写真なんかきれいです.