何処にでもある危機

Ryutaroさんの「新津田沼駅」で、鉄道を民間企業が運営するということの構造的な問題が言及されています.

混雑する・過密ダイヤ、そういう線は高収益路線であって、ライバルがある場合はなんとかしてそれに打ち勝たなくてはならない.公共的視点からはライバルとの線の間で同じような需要と供給担って、安定するといいのですけど、民間企業としてはそれは許されません.安定する、ということは「収益改善のための努力を怠っている」というのと同義ですから.
そう考えると、いろんなところでコピペされてますが、千葉動労の主張も全く的外れではないな、とか思うわけで.


資本による利潤追求はつねに安全を脅かし続けるものである。二度と悲惨な事故を許さないために、「闘いなくして安全なし」のスローガンに込めたわれわれの原点を今一度胸に刻まなければならない。二度とこのようなことを起こさせてはならない。乗客とJRに働く労働者の生命を守るために闘いにたちあがらなければならない。それは労働者としての誇りをかけた責務でもある。
 亡くなられた方々のことを思うとき、今回の事故は、警告というにはあまりに重く、とり返しようのないものだ。だが、JRの現実を考えればこれは警告である。黙っていれば、第2第3の尼崎事故が起きる。
 われわれは、今春闘でも、レール破断の続発という危機的現実に対し、安全運転闘争−ストライキにたちあがった。だが、闘いはこれからである。JRの経営姿勢、社会的な競争原理の蔓延、安全の分野にまで及ぶ規制緩和を根本的に変えさせるだけの闘いが必要だ。われわれは運転保安確立に向け、新たな決意で闘いを強化する。
闘争の手段をストライキに求め、会社側を資本家階級として一義的に決め付けるやり方、また特定の政治的イデオロギー・団体の匂いがする、という意味で動労千葉を俺は支持する(支持したところで千葉県民でも利用者でもないし、どうなる訳でもないんですが)訳ではないのですが、競争原理が前面に出た場合の悲劇がある、というのは確かだと思います。もちろん、じゃ昔のままだったらよかったのか、というとそういうわけでもありません。国鉄末期には「居眠り」とかで重大事故が起こったこともありますし*1、安全性は決して落ちた訳ではないと思いますから.
また、「福知山線の急成長」と言われていますが、そもそもこんな近郊路線をいつまでもローカル線としてほっておいた、ってのもおかしいような気もしますしねえ.

ただ、「ここまでなら競争していいけど、その前にシステムとしての安全性とか、そういうお金がかかるけどお金にならない前提は高めていかないといけないよね」という共通の土壌は大事なんじゃないかなあと思うんです.ATS-Pを付ければ、とか言いますけど、ATS-Pもあれって「停止信号までの距離を参照して安全に停止できるようにする」という考え方じゃなかったかしら?制限速度参照ってどれくらいされてるの?
さて、報道では「置石」から「運転士」に、さらに「JR西日本の安全軽視の姿勢」へと叩くところが変ってきています.問題はそのむこうにあるのに、叩かなきゃいけないとするならマスコミも因果な商売だなあとか思う訳ですが、西日本だけなの?とかは正直思うわけです.本当にどこにでもこういう危機は潜んでいる、それを不断の努力により防がれているに過ぎない、そんなもんなんでしょうね.

*1:1984西明石駅にての「富士」の分機器脱線事故