みやき、ってどこだ

福岡の地震の件でニュースを見ていますが、やっぱり慣れ親しんだ地名がずらずらでてくるのっていただけませんね、

こんなところでも震度を測っていたのか、というところばっかりなんですが、ほぼ20キロメッシュで列島を網羅する国の観測地点に加えて、自治体が設置した震度計は全国で2839地点(ソース:静岡新聞)も有るんだそうで.それでもなお玄海島には震度計の設置がなかったということで、震度が出てないんですが震源直近なんですよね.さぞ大きな揺れだっただろうとお見舞い申し上げる次第です. 
ということで、地震速報を見てるんだが、やっぱり見知らぬ地名とかがあると気になったりするんです.一番気になったのが「佐賀県みやき」.えっと、みやきみやき…三養基か、暫くしてようやっと気付いた次第です.

この3月1日に中原・北茂安・三根の3町が合併して出来たばかりの町、ということです.サイトの概要を見ても分かるとおり、北は背振の山間(七曲峠)で福岡県那珂川町と接し、南は筑後川をはさんでまた福岡県久留米市と接し、山間から筑後佐賀平野まで広くない割にはずいぶんバラエティに富んだ構成になっています.このあたりって昔ながらのだだっ広い平野の中にぽつんぽつんと集落が点在していて、でそのわりには域間での人の移動があんまりないんですよね.そういうところでさて、合併により行政の効率化は実現できるのか?なかなか興味深いところです.ちなみに隣の上峰町東脊振村三田川町の合併協議会から早々に離脱したり、なかなか難しいところみたいです.

で、みやき町の由来となった「三養基郡」.


現在の三養基郡の郡域は、肥前国三根郡(みねぐん)、養父郡(やぶぐん)、基肄郡(きいぐん)であった。1878年の郡区町村編制法施行の際は3郡合同の郡役所が養父郡轟木村(後の鳥栖町。現鳥栖市)に置かれた。1896年4月1日の郡制施行の際、3郡は合併して三養基郡となり、郡役所は引続き鳥栖町に置かれた。
行政区域の名前が次々と変わっていく昨今、しかしこうしてみると地名はこれまでの歴史を詰め込んだ集大成なんだなと思う訳です.元々複合地名だった「三養基」も、あたらしい「みやき」もそのうち地域の一体性とか、特色とか、核を中心とした街づくりなんかがされることだと思います.
・・・しかし中原・北茂安・三根、3町とも三根郡→養父郡で、基肄郡だったことがない、ってのが何ですけど.