中山隧道の映画について

特に縁もゆかりもないのにこんなに地震関係のネタばっかりで申し訳ないのだが、昔から気になっていた映画がやってくるつうので。


 新潟県中越地震で大きな被害を受け全村避難した山古志村を支援しようと、同村を舞台にしたドキュメンタリー映画の上映会が十七日、さいたま市中央区新都心五、土木コンサルタント会社「アクアテルス」で開かれる。鑑賞料一人千円を義援金として村に送ることにしている。
 上映する映画は「掘るまいか 手掘り中山隧道(ずいどう)の記録」(橋本信一監督)。豪雪地帯の山古志村では、かつて冬になると山道は閉ざされ、医者に通うこともできない状態になった。一念発起した村人たちは、トンネルを掘ることを決意。一九三三年から十六年かけてつるはしで掘り進め、約九百メートルの隧道を完成させた。映画はその記録だ。

来ましたよ!中山隧道!!! 旧道マニア、酷道マニアの聖地、中山隧道。
中山隧道は国道291号線山古志村魚沼市の間、中山峠(ここ→Yahoo!地図)にあるトンネル。6年前に2車線の新トンネルが完成するまでは現役の国道トンネルであった。
但し「制限高1.5m、制限幅1.4m」という究極の狭さ、(中では単車ですらすれ違えなかったらしい)「日本最長の手堀トンネル」(サイトによっては世界最長とも)で今なおコンクリ巻きなどがされていない手掘りそのままという姿でごく一部の間では大人気だったらしい。

旧トンネルは広神村山古志村の村民の手で掘られたトンネルで、中は手掘りのノミの跡が無数に残っている。昭和8年から掘られはじめ、戦争による中断もあったが 16年後に貫通した。山古志村側入口は後に改良工事が行なわれコンクリート作りとなっているが、広神村側入口は土がむき出しとなっておりすごい。トンネル入口にある制限高1.5m、最大幅1.4mの標識も、これから進むべき難関を象徴している。トンネル内はとがった三角形のような断面をしており、照明が蛍光燈が20mくらいの間隔で並んでいるだけで暗く、手掘りのため微妙にねじれているため入口部分から出口を見ることはできない。途中数箇所退避場所もどきがあるが、せいぜいバイク同士がすれ違える程度の幅で、車同士はトンネル内では絶対にすれ違えない。車だと退避場所以外ではドアすら開けられないため、車と人でさえすれ違えないだろう。そういうことで、このトンネルでのルールとして、トンネルに入る前に一旦エンジンを止めてトンネル内に車がいないか確かめてから入ることになっていたそうだ。
なんでも、それまでは峠を越える険しい山道しかなく、集落で急病人が出た日には数人掛りで担いで山を越えていたという。雪の季節になると1日がかり、命がけの行程だったらしい。それならばと集落の村民がこつこつと自力で掘りあげてしまったのがこの中山隧道だ。農閑期を利用し交代で掘り進める事16年、全長900mのこのトンネルが完成した。
 ・・・いや、いい話だ。「住民が本当に必要なものを住民の手で」、でそれに対してある程度バックアップする、そういうのが本当の公共事業つうやつじゃないかなあ。高速道路も必要だし、高規格道路だってあっていいと思うんだけど、その場所場所に応じた満たさなきゃいけないラインの最低限つうやつがあって、それを満たすようにするのが公共事業だとおもうんですわ。
 いや、3桁国道とか好きなんだけど、最近(ていってももうずっとそうだけど)どんどん改良工事が進んで「狭い」国道が減ってってる。まあマニア的には「なんかつまんないなあ」つうだけなんだけど、果たしてそんな改良工事なんて必要かしら?と。
 今は新しい国道トンネルが出来て、一瞬のうちに山を下りれるんだが今度は「あまりに便利になった」おかげで、若いのが村を離れ、街に移るという動きが加速しているということだ。「与えられた」トンネルがどこまで地元の人を幸せに出来るんだろう。いやいつまでも古い、普通車ですら進入困難な(気合を入れればいける・・・らしい)トンネルでいいとは言わないけど。


この上映会、こんなに書いといて俺は所用でいけないんだが、支援を兼ねた上映会の動きが各地で広がってるようなので、次の機会にぜひ。