奄美のバス事情

朝フジテレビの「めざましテレビ」を見ていたら、日本の離島めぐりということで「加計呂麻バス」が出てきてた。加計呂麻島といえば奄美大島の隣、というか殆ど地図だと一体化したような島なんだが、港から7路線の路線が延びており、マイクロ6台で運行しているようだ。映像では「地元の人情あふれるふれあいバス」つうことで、給食や荷物の託送風景がでていた。全線フリー乗降で、荷物の託送料金は無料(必ずしも全部という訳ではなく、一定の条件があるんだろうが)、新聞の戸別配達も路線バスがかねているという話。
さすがに戸別配達はしたこと無いが、よく田舎のバスに乗ると雑貨店などに送る荷物輸送をかねている便はあったなあ。水曜くらいに乗ると、荷物に混じって雑誌の包みがあって、少年ジャンプが何冊か入っていたりしたのを見た。バスの終点には一軒の雑貨屋があって2日遅れで雑誌が届く。俺のいた会社では、そこまで田舎でもなかったんだが昼の便では郵便局への郵袋輸送をかねた便が一本設定されていたっけ。
さて、加計呂麻バスだがそんなに古い車両ではなかったが、料金箱は手動式、乗っているのは年寄りの方ばかりという典型的な田舎バスだ。島は意外と大きく、ここの公式時刻表と料金表を見るとバスで一時間程かかる路線も(もちろん道路状況を考えるとそんなに距離自体は無いけど)設定されている。コレくらいの規模の島だとさすがに公共交通機関ないと交通弱者の問題は深刻だと思うのだが。
こんな日記があった。


しかし若者はどんどん島を出て行き、人口は1660人まで減少し、「加計呂麻バス」は全面廃止の危機に追い込まれました。そして運転手たちは「俺たちでバスを守る」と運転手が経営を引き継いで運行を継続。依然赤字体質は変わらないそうですが、その赤字部分は島と県が分担するそうです。
最初聞いたとき、有限会社で離島のバス運行を担うのは大変だろうなと思ったのだが、やはりそういう形でしか存続するのは難しい、というのが地方公共交通の実情だ。ちなみにバス路線を開いたのは林田バスとのこと。普通の農村部と違い、島は物理的に区切られているので人の移動の集約が比較的容易なはずなんだが、それでもこの実情。
しかし、映像で美化されているだけかもしれないが、加計呂麻バスは質素で堅実、足として定着している様子だった。こういうのを見ると応援したくなる単純な俺。

で、お隣奄美大島。日本の離島では沖縄本島佐渡についで大きい719平方キロ、人口約7万人、ダイエーもあったりする大きな島なんだが、ここのバスがちと不思議なことになっている。


奄美大島全域でバス事業を展開している奄美交通(名瀬市)が一時路線廃止を届け出たことに伴う代替バス事業が1日始まった。地元7市町村から運行委託を受けた岩崎バス(同市)と瀬戸内タクシー(瀬戸内町)は計24系統で代替車両を運行するが、奄美交通が直前になって路線廃止申請を撤回したことにより、ほとんどの路線で競合する形になった。
なんでも、

  • 島のバス事業の殆どは、特急バスを含めていわさきコーポレーション系の奄美交通が運行
  • 長年の赤字から会社解散、路線廃止申請提出
  • 沿線自治体は代換バス運行へ、地元の岩崎バス他が運行決定
  • 廃止前月になって、奄美交通は会社清算を撤回、路線廃止申請取り下げ
  • とはいえすでに準備は進んでいたため、上記記事のような事態に。

奄美交通が廃止申請を取り下げたのは、島内での雇用問題があったから、ということらしいが、はたして雇用を代換バス運行業者に引き継ぐことはできなかったのか、また今後の方向性について大変気になるところだ。奄美交通の赤字は単純に考えて現在よりさらにずっと悪化する訳で、ともあれ共倒れという事態、また代換バスの赤字が地方自治体を必要以上に悪化させる様な事態は避けてほしい。
この10年20年で民営の地方公共交通は壊滅的といえるほど減ってしまった。いまや田舎の駅に行ってもバスが来るところなんて数えるほどで、さびたポールだけが残っていたり、バス路線は地図上にだけその跡をとどめてたりする。地方自治体によるバスがようやく最近ずいぶん増えてきたが、中には公共機関を回るだけとか、週1便の路線とか(どうせ病院にいく路線しか乗らないので、地区ごとに運航日をまとめたほうが病院にとってもバスにとっても効率的ということだな)でまだ十分じゃない。
さすがに人が住んでないところにまでバスを通せ、とは言わないけど、やっぱりある程度の大きさの集落にはバスくらい通っている社会であってほしい。きっとバスが来ないような集落はすんごい山奥とかじゃなくて、高規格農道とかが通っていて車で移動したほうがずっと早いところ、なんだろうけど、やっぱり車をもってないと安価に移動できない社会というのは、あまりに閉鎖的で一義的じゃないかしら?
平成の大合併で、せっかく作られた自治体バスもまた合理化、効率化の波に飲まれるんかなあ、と思うと、狭い社会を大切にする、つうのももうちょっと必要じゃないかなあと思う訳だ。