ザ・ドキュメント 伊勢丹進出

毎日新聞の福岡版で連載されている。2月にグランドオープンする小倉伊勢丹の、主に従業員にスポットをあてた連載なのだがなかなか面白い。Web化されていないのが残念。


■9■「浪人」・・・再び経理マンへ
そごうの経営破たんを、誰より予感していたのは経理部員だった。ひとり、親の余命に気づく思い-。
再建計画で存続店と閉鎖店が振り分けられる時、社員の大半は「立地に恵まれ、新しい小倉店は残る」と信じた。閉店が決まった00年10月、驚き、泣き出す社員もいる中で、財務担当の村上英樹(30)は冷静だった。「終わりは近いと感じていましたから」。職責上、同僚には言えない会社の危機、孤独に耐えてきた。
小倉そごうは当時、建設時の初期投資など515億円の負債を抱え、毎月億単位の借入金返済に追われた。しかも坪単価で平均2万4000円という高額な賃料。客足を確保しようとバーゲン企画を増やしたことも、収益を悪化させる悪循環を招いていた。
以下端折ると、小倉そごうはパート・正社員全員を解雇、同僚が他業界に転職していく中村上氏は2年間の「浪人生活」を経て、数字感覚を磨き、後継となった小倉伊勢丹で商品在庫管理を担当する経理社員として採用されるわけだ。立派だな。似たような職種にいる俺としては(きっと実力には雲泥の差)「終わりが近い」と判っていながら見切りをつけなかった理由はわからないが、最後を見届けてやろうという気だったのかもしれないし、それも面白いだろうな。ただしツブシのきかない仕事なので、悩みどころだ(何をだ?)。とにかく数字感覚をつかむことを自分の課題とする。
しかし小倉そごうは今考えても無茶だったというのが、坪24000円という法外な賃料からもわかる。そりゃ再建のためには閉鎖は当然の判断だが、一般の販売職だったら気にもしないだろうし、開店のいきさつを知っている人にとっては第三セクターくらいの感じだったのではないだろうか。それにしても地上14階、地下1階、総延床面積11万㎡、店舗面積43,700㎡(うちそごう30,000㎡)はあまりに巨大で、再開発の際地権者を大事にしすぎたあまりの高額な賃料はいずれ閉店は目に見えていたというべきだ。単純計算で月間賃料7億だもんな。
北九州市では、去年黒崎駅再開発ビル「コムシティ」が、開業からわずか1年半で破綻というスピード記録を作ったし、福岡では「川端再開発ビルスーパーブランドシティ」が、佐賀では「エスプラッツ」がそれぞれあっという間に破綻した。日本全国にはそれは成功している例はあるのだろうが、人口の少ない地方都市で人を集め、シビアに採算に乗せ、かつ地域社会の再生を図るのは本当に無理なのか?

旧小倉そごう:小倉駅前の再開発計画により、北九州市再生の「ルネッサンス計画」の目玉として、「ストップ・ザ・天神」をかかげて1993年に開店。北九州の商業の核として北九州はもとより福岡・大分・山口からひろく集客することを期待されるが2000年、親会社そごうの経営破たんに伴い同じく北九州市内の黒崎店とともに閉店。その後黒崎店は地元の井筒屋により2001年に開店(井筒屋は旧黒崎店を閉鎖)したが、小倉店は建設後間もない巨大店舗であり、また床の権利関係があまりに複雑なことから再建は迷走し続けた。ようやく2003年、株式会社小倉伊勢丹伊勢丹70%、井筒屋30%の出資により設立、2004年2月開店予定。