岩田屋、三越伊勢丹の完全子会社へ

北九州は工業の街、福岡は商業の街。でも工場地帯は軒並み東京資本の企業の工場に変わったように、商業もそうなってしまったことを改めて感じさせる、岩田屋の子会社化。岩田屋、というと福岡では最後に残った地元百貨店だっただけに、ちょっと残念だ。経済界としては、まあショックといえばショックだろうなあ。*1


バブル崩壊後の消費低迷や天神地区での競争激化で次第に経営が悪化し、2002年には福岡銀行など取引銀行団に約280億円の債権放棄を要請することを柱とした再建計画が成立した。創業家一族が経営から手を引いて伊勢丹傘下での再建を進めた。今回の完全子会社化に伴い今月8日、福証を上場廃止となった。
 岩田屋は来春以降、三越福岡店と早期の経営統合を視野に一体的な運営を行い、重複するブランドの見直しなどを行う方針だ。ただ、経営の意思決定が、東京主導で進められることに寂りょう感を抱く元株主もいる。
 加えて、2011年春には新博多駅ビルに博多阪急(仮称)が開業する。岩田屋発展には「今以上に地域に根ざす必要がある」(岩田屋OB)との声もあり、転換期を迎えた岩田屋の今後のかじ取りが注目される
最近天神にもあまり行かなくなったのだが、やはり地元の百貨店のひとつもない町というのはなにかさびしい。岩田屋は、実際の資本がどこであれ多くの人たちには「福岡の昔ながらの百貨店」というイメージがあるわけで、そういう安心感からも残っていてほしいとは思う。正直店名が変わらなくてよかった、というのは正直なところだろう。
 でも、既定路線だったとはいえ、これで完全に経営はHDに移ったわけで、今後店が続いていけるのかは本当に営業成績次第、という事になるんだろうか。
280億円の債権放棄と私的整理を経てここまできただけに、のれんは続いてほしいなあ、と改めて考える。
で、一方の三越福岡店。正直「バスセンターに行くのに便利な百貨店」くらいしか認識されていないような気がする。岩田屋の新館(現本館)は「岩田屋なんだけれども中身は伊勢丹」といった感じで、それが成功した秘訣じゃないかなあ、とも思うんだけれども、どうもイメージが薄いよね。三越福岡って。池袋の三越くらい立ち居地がよくわからないんじゃないかなあ、とも思うのだ。いっそのこと、「のれんは岩田屋なんだけれども中身は日本橋三越」くらいの何かが必要なんじゃないかいな。

*1:福岡玉屋1999年、福岡松屋2005年、博多井筒屋2007年閉店