久留米の話

最近久留米好きな西日本新聞ですねえ。
コンパクトシティ、というか、まちなか再生、というか、中心市街地の活性化という言葉をよくききます。ここ久留米も、中心、いわゆる昔からの繁華街の空洞化が酷くて対策が急務ということになっているのですが、じゃあどうしたら、ということになるんですよね。


久留米市の江藤守国市長は12日の市議会定例会で、市中心部の衰退を「状況の変化への対応が十分でなかったことが理由だ」と指摘。「今後は自ら考え、努力し、行動する、がんばる商店街を商工会議所やまちづくり会社と積極的に支援する」との考え方を表明した。山村太二市議(久友会)の一般質問に答えた。
 中心市街地への公金支出には、一部市議や郊外の商店主から「なぜ中心部ばかり」と批判が出ている。江藤市長の答弁は、支援の“基準”を示すことで中心商店街に自助努力を迫った形だ。
確かに、商売をしている人はみんながんばっているわけで、なぜ同じことをしているのに、というのはあるでしょうね。スーパーだってそうで、商店街の振興施策というのはよくききますがスーパーの振興施策というのはとんとありません。もうスーパーも撤退したような市街地になんとか入店してもらおう、というのはありますけれども。
 こうして考えると、街づくりってなんだろうと思います。一つ一つのパーツをいらっても仕方がないんですよね。そこが商売になる、という場所作りが大事なんだと思うんですが、その秘策ってないんでしょうね。もし、中心市街地に住んでいるだれもがそこで商売をしたいとはおもってないとしたら、その街づくりはどういう風にすればいいのかなあ、とか考えたりもします。

今、福岡近郊のいわゆる中心市街地に住んでいますが、いろんな意味で快適です。自分のことに重ねてみると、いろいろ思うところはあるわけです。


「国などの補助金に頼ろうとした瞬間に、自分に力がないことを認めていることになる」と自助努力の必要性を強調。「公金で商店街にライトを照らしても、行政がスイッチを切ったらおしまい。そうではなく小さくても、ひとつひとつの店が明かりをともし、それが集まってつくるのが『まち』じゃないかな」と訴えた。
まあ、確かにその通りですね。大きな力でそこに商業施設なんかを配置するんだと、結局大手のショッピングモールと同じだよなあ、とか思うのです。自然に力をもってあつまる場所が街であり、商店街なんでしょうねえ。