ふるさとプロレス、が熱い(遡及)

5/8のエントリ(id:sa-50:20090508)でちょっととりあげた久留米あけぼの商店街の「ふるさとプロレス」。西日本新聞筑後版に連載記事「あけぼのの挑戦」が載っているのですが、なかなか熱い記事で面白いです。興味があるからだけかもしれませんが。

久留米といえばちょっと古いけれどもチェッカーズ松田聖子、そういう世代です。で、そういう文化を育んできたのが久留米の大きすぎず小さすぎない町、いろいろな人たちがそこに住んでいてお店をやっていて、昼も夜も生活がそこにあった街というものなんじゃないかな、と思うのです。若い人向け、お年寄り向け、いろんな店があって、飲み屋があって、遊ぶ場所も喧嘩をする場所も、そこに無駄にたむろう場所もあって、この街が好きだとか嫌いだとか、そこから福岡へ、東京へ出て行くパワーもでてくる、そして帰ってくるパワーもでてくるものじゃないかな、と思うんですよね。


しかし商店街を歩き、駅前ロータリーに行っても、訴えかけるべき人があまりいない。閑散とした通りでつぼ原人は立ち尽くした。
人けのないロータリーにがく然とするつぼ原人 つぼ原人はレスラーを目指し上京する18歳まで、久留米で過ごした。
 でも、見慣れたはずの商店街は「知らない街みたい」。肩と肩がぶつかるほど人がいた通りは、自転車が縦横無尽に駆け抜けていく。ほかの商店街の商店主たちにも活気がない。チラシを渡しても冷めた反応ばかり。「おれを育ててくれた、行くだけで安心するような街じゃない」。
空き店舗率は2割超、歩行者通行量は10年間で1/3になってしまいました(ソース:広報くるめ 2008.4.15)。でも街そのものがなくなってしまったのではなく、もちろん駅から歩いても行ける大きなSC「you meタウンくるめ」とその周辺はシネコンがあって、ロードサイトの店がずらりと並んで、と大変な活況な訳で、確かに便利だし楽しいのです。市内中心の全域から自転車でらくらく、バスも頻繁に走っていて高齢者でも子供でも簡単にアクセスできますしね。よくある「郊外大型店のおかげで買い物難民になってしまう」というのとはちょっと違うのかもしれません。でも、街のありかたは確かに10年間で大きく変わってしまったんだなあ、と思います。10年前なんてついこの前だよね、と思わず言ってしまうんですけれども。

話がそれましたが、そんな中でのこの記事、面白いのです。ということで、続きます。