商店街とか大型店とか

そんな久留米の中心市街地、六ツ門の「久留米井筒屋」は、2月末の閉店に向けて閉店セールの真っ最中だ。「永らくのご愛顧まことにありがとうございました」この言葉はいつ聞いても重く、悲しい。去っていくものにとっても、そして残される街にとっても。もちろん経済合理性で選択した結果であるとするならばなんとも言いようがないんだけれども。
 跡地利用でもなんだか不協和音が聞こえてこなくもなく、この先がやっぱり心配といえば心配。


井筒屋が受け身なら、久留米市も「まず、井筒屋が再開発プランを提示すべきだ」と距離を置く。周辺一帯の再開発だが、その大部分の土地や建物は、井筒屋が所有するからだ。
 一方、構想実現に向けては、江藤市長は「使える制度は使う」と公金投入に前向きな姿勢を示す。市は、国や県、市のさまざまな補助制度の活用を検討中で、市内部には「少なくとも10億円の公金投入が必要」と、具体的な額も出ている。
 さらに市では、複合商業施設建設までの間、井筒屋に近くの空きビルに一時入居してもらうという案や、完成した施設には井筒屋が入るのはもちろん、テナント確保のために市関連施設の入居も検討している。
 そこには、市中心部の商店街の空き店舗率が8月末で25.5%に達する中で、「2010年度までに10%以下にする」ことを市長2期目の公約に掲げる江藤市政の危機感がにじむ。久留米井筒屋閉店に手をこまぬいたままでは、市中心部のにぎわいが一層薄れる懸念があるからだ。
民間がどういう風にして、行政がそこの穴を堂埋めるか、その姿がどうも見えてこないのだ。


一番街のアーケード。高校のころ映画館にいったりした思い出の商店街・・・とも言えなくはないのだが、いまは当時のまま、そのままで店も人もなくなってしまった。さすがに少しさびしい。

もう少しいくと、飲み屋からかえりの人がいたりはするんだけれども。アーケード内にオルゴールのクリスマスソングがさびしく反響している。時刻は8時、アーケードの明かりがいっせいに減光された。せめていくらかでも店が開いていればにぎわいも出るのかもしれないが、店が開いていない、そして人手がないからあけることもできないというスパイラルだ。このままいくと確かに自然淘汰されてしまうのかもしれない。