羽犬塚の街で

羽犬塚のr209は、大部分が薩摩街道と重なっている。最近篤姫で流行だという薩摩街道だ。しかし残念ながら大河ドラマ篤姫」を見たことがないので、正直なんともわからないんだけれども。

そんな道をふらふらと歩いていく。歩道はあるが、国道は車が多く若干渋滞気味で、歩いてあんまり快適とはいい難いし何がいけないって国道を中々渡れない。また国道沿いに無料駐車場を備えた大型店舗も、コインパーキングも見当たらず、各店の小さな駐車場でまかなっているのだろうか、なかなか大変そうだ。

さて、歩いていると石碑があった。個人的には薩摩街道よりも興味深い、種田山頭火の歌碑だ。


お経あげて お米もろうて 百舌鳴

他にも薩摩街道沿いに計5基の歌碑があるという。羽犬塚薩摩街道の宿場町として栄えた街で、久留米藩の出先なども置かれていたというが山頭火が投宿した昭和5年のころにはどのような町であったのか、勿論今は当時の様子をしのぶべくもないのだが、意外と同じような交通の要所なんだが中心のよくわからないところじゃなかったのかなあ、とかふと考えた。

羽犬塚山頭火句碑については、このページ(風と歩く:北九州の山頭火句碑)に詳しい。

国道を一本入ると道は極端に狭くなり、畑と人家が混在する昔ながらの集落のように見える。空は冬の暗い空、ぱらぱらと雨が降り出した。家路を急ごうとせきたてるように風が吹く。そこここに大きな楠が立っているのはさすが九州だ。


集落の中ほどにある「六所宮」。このあたりの中心になるような神社の様だ。とはいえ、普段は無人らしくひっそりとしている。ここにも中央には大きな楠。

さて、すみのほうにやたらときれいな一角があるが、ここには町内ごとの恵比寿様が祭られている。暗くて祠の中までうかがい知ることは出来なかったが、とにかく古い素朴な恵比寿様だという。


この恵比寿神像は古い形式で鯛を抱かず、男神、女神を並べた双体の恵比寿神像である。像の背面に刻まれる年号は正平十二年(1357年)十二月吉日とある。この恵比寿像は、もとは羽犬塚中町会所地内に祀られていたもので、明治になってから六所宮境内に移遷されたもので、石祠に刻まれた銘文には享保十八年(1733年)となっている。
どのような石像かはここ(筑後ふるさとブランド館:ホテルエドモント)で見ることが出来る。あれ?さっきいった場所?・・・
とにかく日本でも有数の古い恵比寿像ではないかといわれているとか。
こういう歴史がひっそりと息づいている、そんな街。