村の記憶

地図が好きで、田舎が好きなので、地形図を見て山奥にひっそりと住宅の印(■←こんなの)と地名を見つけるとどきどきします.山の中にぽつんと■が二つくらいあって、その横に神社のマークがあると「廃村?」とか思ってしまうのは仕方が無いところでしょうか.車が発達した今日では、道路さえあればそんなに遠くは無いはずなんですが、そこに至る道が点線だったり破線だったりすると、そこにすまざるを得なかった運命なんか考えたくなってしまいます.

去年だったか、富山県五箇山国民宿舎売店で買った本.「山男らが踏査した富山の全「廃村」80」と帯にありますが、各集落ごとに地図と現状、当時の写真から当時の住民の写真から詳細な歴史から、おおよそ取り込めるものは圧縮して取り込んであるのにびっくり、読み物としても資料としても貴重な一冊だと思いながら、通勤電車の行きかえりで読みながらようやく読了.こうしてみると、地図の中に取り残されたような地名の中にもそれぞれの歴史があって暮らしがあるというのが改めて驚かされます.廃村の理由は、産業構造の変化に現金収入を得られなくなった、学校まで雪道を数時間かかる、色々ですがこう都会に住んでいる身としては想像もつかないものばかり、しかしそこに描き出された哀歓の暮らしの様子はまさしくほんの数十年前まではそこにあったものにほかなりません.
いろんな要因で社会のありかたも集落のあり方も変わって行く、そのなかで取り残されて行くもの、失われてしまうものに思いをはせ、はたしてそれでいいのかなあと考える一冊でした.もうちょっとこのへんは詳しく考えて見たいところです.