街の紡いできた時

そんな静かな常盤台だが、駅前ではマンション訴訟が進行中だ。
駅前にあった銀行の支店が統廃合でなくなった跡地に、11階建てのマンション*1がたっているんだが、それが周辺の自主規制をはるかに超える高さであるため、周辺住民が「景観権他が侵害された」と提訴しているのだ。ちなみにその間にも工事は着々と進行し、今年落成し、すでに入居が終わっている。一階にはオープンカフェなんかがあって、しってかしらずか皆さんお茶なんかなさっているご様子だ。
付近の自主規制が高さ何メートルなのかは知らないが、確かに他の建物は都内駅前にもかかわらず数階建てまでにそろえられていて、おそらく5〜6階が自主規制のラインになっているんだろうなと思われる。

マンションといえば国立訴訟が有名なんだが、こちらのほうは先月28日、東京高裁における控訴審で個人に法的保護の対象となる景観利益が認められず、住民側が敗訴している(8日に上告)。

確かに、景観権を一般的に権利として広く認めるのは難しいだろう、どんな建物でアレかなり建築が難しくなるはずだ。また建設決定後に条例なり法律を遡って摘要することはもちろん認められるわけがない。同時に、すでに建築が終了し、入居まで始まった既存の住宅の一定部分を撤去するなんてことはとても可能とは思えない、そう考えるとアノ判決も大岡裁きのような面もあるんじゃないか?と思う。

しかし、街によっていろんな顔がある、それをもっと大事にしていいんじゃないか?半強制的にでもある程度尊重させる何かがあっていいんじゃないか?と思うのだ。街によっては積極的、組織的に新しいマンションを作っていくところもあるだろうし、古くからの住宅で新住民を拒むような町があってもいい。
例えばこの常盤台は大正末期、東武によって「東の田園調布」として開発され、その風情が今も色濃く残る町だ。一歩奥に入ると今でも当時の文化住宅がそのまま残ってたりする。駅前も小さなロータリーがあるきりで、信号すらない(端っこのほうに横断歩道のためだけに一つだけあるが)。それから80年余り、そこに住んだ住民たちがゆっくりと街を作ってきている。
しかしその前を考えると一面の田圃で、遊覧飛行用の小さな飛行場すらあった場所らしい。そう考えると、もしかしたらこの団地を作るときには今のような反対運動が起こったのかもしれない。
そう考えると、何が正しいとかではなくて、こんな町に住みたい、という既存住民の意識はずっと昔からつながっている訳で、そういうものをもうちょっと大事に出来る何かはないんだろうか?

*1:「レーベンハイム常盤台一丁目:分譲 株式会社タカラレーベンハイム