雑草の駅

夜、東京MXテレビで放映されていたもの、偶然目にする機会があったのだが、すごい面白かった。
2001年3月末で廃止された、能登半島第三セクター鉄道のと鉄道」の末端区間(というほど短い距離でもないが)、のと穴水〜輪島間を巡る人間模様、地域社会に与えた影響、そして新たに「駅を失った集落」として再出発する集落の模様を描き出してるんだが.


MROは、平成14年民放連賞のテレビ教養部門で「ふるさとのレール〜輪島穴水間廃線・線路がつなぐ物語〜」<ディレクター=中崎清栄(報道制作部)>が優秀賞を受賞した。 去年3月一杯で廃線となった奥能登の「のと鉄道」輪島〜穴水間の沿線住民を追ったドキュメンタリー番組。ふるさとを離れていく高校生、働くことを生き甲斐としている荷担ぎのおばちゃん、年々寂れていく町を少しでも明るくしようと努力する地元の人々−。
様々な思いをレールでつないで、過疎地に暮らす人々の生活と思いを伝える作品で、「深刻なテーマを、ユーモアと巧みな構成力で表現している」と評価された。

廃止についてちょっと調べてみたら、こんなページが見つかった.

経常赤字の割合の高い、また改善の見込みの少ない鉄道を廃止することに対し、いたづらに反対することは出来ない.きっと住めば俺も乗らないだろう.観光に輪島に行くのだって、普通は観光バスツアー、フリーの若者なんかは車かせめて金沢や富山からレンタカーだし.廃止前は「バスになったら乗れなくなるかねえ」と不安がっていた輪島の行商のばあちゃんたちも、代換でやってきたトランク付の観光バスタイプの特急バスに至極ご満悦、しかも本数もバス停も増えて逆に便利になった、というのが印象的だった.
 そうやって世の中は少しづつ合理的に、まあ良くなってゆく.ただそこに見落とされる部分というのもあるわけで、均一に便利になってゆくことで、これまでの駅前が姿を消しなんとなく求心力を失った地方という現実が残されるわけだ.そこで何かを残すために、地域の親父たちが仕掛けを考えてゆく.
「人がこんなに不便で何もない田舎から出て行くのをとめることはできない.ただ都会から、引退してからでもいい、戻ってきたくなったときに、ここがふるさとだと思える何かを残しておかないといけない」つう言葉がなんか胸に残る一本だった.その方法が正しいのかはわからないが、そこに住んでいる人であれ、外部の力を取り入れることであれ、地域主導であれば何かができると信じておきたい.