あけましておめでとうございます

…と言っている間に今月も半分。嗚呼。

東京だと冬の風物詩といえばお酉様。大阪だとえべっさん。福岡でも十日えびす。戎、ではなくえびす。
会社のすぐ近くであっているんだけど、平日だと残業だし、土日に会社の近くになんて来たくないし。普段は本当に人気のないお宮さんなんですが、この時だけは人であふれる。

さすが商売繁盛、提灯はずらりと商店名が並ぶ。ただこの写真だと、大丸、ゆめタウン(イズミ)、三越、一つも福岡の企業がなかった。本殿下には天神コア、意地でも残っているのかフチガミファイン(渕上百貨店→ユニードの存続企業、ユニードダイエーに吸収)、石蔵酒造、明太子のふくや、やっぱり地元企業の名前はうれしい。

最終日残りえびすの夜8時、ようやく行列がなくなってきた時間。商売繁盛、景気回復をとりあえず願っておく。

縁日が埋め尽くすのは参道、ではなく隣接する東公園。
この十日えびす神社、福岡県庁に隣接する(というか東公園を半分つぶして県庁が移転してきた)東公園の隅っこにある小さな神社だ。周囲は千代の住宅街やら学校やらで、とても商売繁盛の神様がおられるような商売っ気のありそうな場所には見えない。でも、山笠は千代流れ、この十日えびすには博多芸者の「徒歩参り(かちまいり)」が行われる。


「福岡懸神社誌」(昭和19年刊)によると、「香椎宮社家の武内平十郎(後隠居して五右衛門と称す)が博多に分家し、神屋と号して商売を営みました。此の者天正十九年(一五九一年)正月三日、年始に当り香椎なる父の家に至り、香椎宮筥崎宮への参詣の帰途、浜辺潮先に於て、恵比須大神の尊像を拾い上げたる地に御社を建て氏の神と家運大いに栄えたと云う」とあります。
また、「明治参拾参年旧正月記録ヨリ写取者也」と添え書きのある武内文書「十日恵比須神社記録写」には「香椎から箱崎に参拝途中の潮先で、恵比須二対を拾い上げて、持ち帰って奉斎した」「毎年正月十日恵比須ととなえて、自身でお供えして拾い上げたところで御神酒をささげた。これが知られて次第に参拝する人が多くなって繁昌した」という意味のことが書かれています。
当時、社は崇福寺境内にあったようですが、博多に分家した香椎宮ゆかりの武内家の一族が、最初は自宅に祀り、のち千代の松原に一社を建立したのが始まりらしいとのことです。
なるほど、博多の街を町はずれからずっと見守ってきた神社になるわけだ。なんとなく奥ゆかしいではないか。そして商売人は、一年間の商売を祈って町はずれの神社に参りに行くわけか。このあたり、浅草のお酉様などとも違った雰囲気で、なんか楽しい。(浅草もどっちかというとはずれだったりするけれど)そういえば、戎、でも恵比寿、でもなく恵比須、最寄りの駅の名所案内も字を修正した跡があったっけ。


有名な箱崎のラーメン屋台(?)「花山」。地元の名店、屋台でもそういうんだろうか。毎年食べようと思いながらかなわず、結局今年も。まあ箱崎までゆければ食べれるからいいんだが。

さてこの時間、夜店では撤収の準備が始まっていた。熊手、その隣は高崎だるま。全国規模な縁起物だ。

また明日から公園はひっそりと静まり返り、そして夜店は次の祭りへ。これがおわると、一年が無事に始まったような気がする。