低炭素まちづくり促進法案


 国土交通省は、都市をコンパクト化して環境に配慮した街づくりを自治体に促す新法を通常国会に提出する。
 病院や学校、商業施設などの都市機能を中心部に集約し、車に頼らない都市にすることで温室効果ガスの排出を抑える狙いだ。

 新法は「低炭素まちづくり促進法案」で、2012年度中の施行を目指す。新法で対象地域になると、省エネルギー基準を満たした住宅やビルの住宅ローン減税を拡大したり、事業費を補助したりするなどの優遇措置を設ける。震災復興を進める被災地や、人口の空洞化に悩む地方都市の活用を見込んでいる。
 対象地域に指定されるためには、自治体が、都市機能の集約化や建物の省エネ化などを盛り込んだ「低炭素まちづくり計画」を作成する。計画に沿って企業が省エネビルなどを建設すれば、国と地方で事業費の最大3分の2を補助する。大型商業施設に課している駐車場の設置義務も緩和し、複数の施設で共同駐車場を設けることも認める。

コンパクトシティ、ずいぶん懐かしい言葉だ。コンパクトシティに関連する法律といえば1998年施行のまちづくり3法(改正都市計画法大店立地法中心市街地活性化法)、ついでに商店街が行う活性化策を支援する商店街新法まで思い浮かぶところだが、今度は低炭素、エコできたかと。自治体がまちづくり計画を作成しないといけないことを見ると、現在104市107地区で行われている中心市街地活性化基本計画のようなところを想像する。比較的大きな都市を対象にしていると思われる(かならずしもそうでなさそうなところが手を挙げていたりするが)中活法に比べ、小さな地方都市を対象にしているのではないかと思料するところ。
…一緒じゃだめなのか?被災地を対象に、というのはあるかもしれないけれども…

やっぱりどうもイメージがわかない。これからの人口縮小時代、地方都市は郊外化、というよりも人口減少そのものと戦っていかなくてはならないことになる。そのためには産業の誘致、雇用の創出が一番に来て、それに隣接した良質で安価な住環境の提供、ということになるだろう。一つ二つのオフィスビルが建て替わることにどんな効果が?
…と、この辺は実際にかかわっている方が一番思っているところなんでしょうが。
いっそのこと郊外に全く新しい街を…ってのはだめ…だよな。

福岡でも雪が降り出しました。
2年前には福岡でも結構雪が降ったのを思い出した。東北では大変なことになっている旨、被害が大きくならないことを祈りつつ。
そういえば、10年ほど前だったか、吹雪の大湊線を撮影するために、吹越の駅からr279を5キロ程歩いたっけなあ。よく死ななかったもんだ。

※写真は09年の1月末

あやどり市場

昨日書いたとおり、大規模な火災に見舞われた若松の商店街。仕事でお世話になった方々のお店も、いくつか全焼してしまったとのこと、やはり今一度心よりお見舞いを申し上げたい。

ただ、今回火災にあった商店主の方、一緒に商売をしてらっしゃった商店街の方々、若い人たちを中心にもう前をむいているとのことだ。商店主の方のブログから。


今日まで、現場検証などが行なわれ商店街の一部は通行止めとなっていましたが近々通行出来るようです。

若松がんばろう会のメンバー「松尾商店さん・磯村鮮魚店さん・若松んもんやおやさん」も今回の火災に見舞われましたが、意気消沈するのでなく、一日も早く再建できるよう既に動いています。そして、それ以外の店舗の方も頑張っておられます。

僕達も非力ではありますが、商店街や若松がんばろう会会員みんなで、力を合わせて頑張ります!!
若松商店街は火事なんかに負けません!!
確かに、見た目は無残な商店街になってしまいましたが、みんなの気持ちを一つにして頑張ります。

近々、「あやどり市場」の方々を中心に再建に向けた仮設店舗での営業再開を予定しています。
このつたないブログで申し訳御座いませんが、お近くの方や若松に来られる予定の方、お願いです。
営業再開した時は、一足のばして是非とも若松商店街で魚や肉や野菜・果物を少しでも買ってください。
そして、若松商店街を元気にさせてください。お願いします。
若松商店街で営業出来る店は、明日も元気に開店します。

周辺の空き店舗で仮営業、とか、跡地で仮営業、商店街でイベント、という話ももう出ているとのこと。立場の違う店の方々が一つの方向を向いて…なんとか応援したい。といっても、買い物をするくらいしかできないのだけれども。

今回焼失した「あやどり市場」の写真が出てきた。木造、もともと大きな建物だが、細かく路地で割って市場の形になっていた。昔は呉服店だったか、一つの大きな商店だったという。明治町と本町の角地に位置し、さぞ栄えた店だったんだろう。新聞によっては「戦後間もなく作られた」と書かれているが、たしか昭和初期に建てられたと聞いた。

アーケードからさらに狭い入口の先、一気に時代が遡る。セットではない、営業中のお店だ。向かいは、これまた時代が止まったような食堂だった。

一階、アーケードに面したところに何軒かと内側に何軒か、その奥には2階に上がる木製の階段がひっそりとあった。いつのかわからないがかなり古そう、配電盤、だろうか。

2階は人けがなく、抜けそうな廊下を歩くと埃が舞った。昔の住込み部屋で、何年か前までまだ住んでいた人がいたそうだ。2年前の段階で、2階では仕立て屋さんだったかが1軒営業しているだけだった。日常の買い物客が行きかう商店街のすぐ頭の上にはこんな風景が眠っていた。
北九州フィルムコミッションのロケ地候補にも掲載されていたあやどり市場は消えていった。
残念だが、なんとか新しい商店街の姿ができてほしい、と祈らずにはいられない。

今や商店街の方々も、住居は商店街から離れた住宅地に構え、夜間は商店街全体がほぼ無人だという。街なか居住、というのも進んでほしいものだけれども。

ということで、たまにはやはり商店街で買い物をしてみよう。

若松商店街・あやどり市場で…

去年、一昨年と仕事で大変お世話になった、北九州の若松商店街。お世話になったあの街、遊びに行くといつもなにかある、元気な街だと思うとなおさらつらい。


30日午前1時45分ごろ、北九州市若松区本町2で「商店街が燃えている」と通行人の女性から119番があった。福岡県警若松署や市消防局によると「あやどり市場」から出火、木造2階建て約1200平方メートルの市場と、隣接する空き店舗など合わせて約1800平方メートルを全焼した。けが人はなかった。
 あやどり市場は、若松区役所や若戸大橋に近く、若松区中心市街地の一角。数メートルの火柱が上がり、強風にあおられて周辺に火の粉が飛び散ったり、アーケード街に非常ベルが鳴り響いたりするなど現場は一時騒然となった。
 若松区役所などによると、あやどり市場は「エスト本町」と「明治町銀天街」の両アーケードが交差する場所にあり、精肉店青果店、食堂など10店舗が入居していた。市場ができたのは旧若松市時代の1947年11月ごろとみられ、長年、市民に親しまれてきたが、建物は老朽化していたという。出火当時、北九州・遠賀地区には強風波浪注意報が発令されていた。

火災に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

焼失したというあやどり市場、昨年一度中まで入れていただいたことがあった。若松の街を昔から見続けてきた、明治町と本町の角にある大きな建物だった。元百貨店だったか呉服屋だったか、だったのが時代が経って小さな店に割られ…といったような建物だったと思う。外観からは思いがけないくらい、中に入ると軽く数十年は時間が止まったままで、驚いたのを覚えている。

…という、風景が失われてしまったのは悲しいが、それにもまして自分の店が、という苦しみはいくほどか、想像もつかない。そういうリスクもありつつ商売をやられている、それだけでも商店街の方々を尊敬するのだ。そして、そういう人たちも含め、様々な立場の人たちが集まって街ができるということにも。

がんばってほしい、そういうのは無責任に過ぎるだろう。でも、最近様々なムーブメントが起こっている熱い街、若松。なんとかくじけないでほしい。

(2010年4月の若松・本町(右手があやどり市場))

長崎ランタンフェスティバル


久しぶりに出張で博多駅を通ったら、改札口の上、赤い提灯が目に留まった。そうかあ、旧正月春節に合わせた長崎ランタンフェスティバルは今週からだっけ。

平成6年からはじまったこの観光イベント、福岡では至る所で広告を目にするようになった。改札で見ていると、アジアからの観光客と思しき家族連れがじっと見ている。手にはJAPAN RAILPASS。どこから来られた方かはわからないけれども、日本人が見ても派手な赤い提灯は目にどう映ったんだろうか。駅員に聞きながら、改札を抜けていっや。

今や100万人近くの動員があるイベントになったランタンフェスティバル。こういいながらまだ眼にしたことはないんだが、

街中をランタンと大型の電飾で飾り、龍踊などのイベントがあって、スタンプラリーがあって…というイベントだとか、今や100万人近くの観光客が集まるという。街を歩き、ランタンを眺めつつ買い物とか食事とか…、遡ること平成6年に、中華街等で小規模に行われてきた春節の祭りを拡大したもの、ということ。

長崎出身の同僚に聞くと、「毎年同じだから、地元の人は行くのかなあ?」とか言ってたが…
ま、こういうイベントなんてそんなもの、といえばそんなもんだ。博多の代表的な祭りであるはずの「博多どんたく」だって、わざわざ地元の人が見に行くようなもんではない(出に行く、というのはあるけど)と思っている。
ただ、長崎、といえば「街歩き」を突き詰めていった「さるく」。このランタンも、「さるく」コースも設定されていて、地元の人にも好きな人には受けそうだ。地元の人も遊びに行くようなイベントも併せられるといいんだけれども、実はやってるんかなあ?

街っていろんなことが同時にできると楽しいだろうなあ、ということで。観光客を呼び込むのもいいんだけれども、リピーターを増やしていくには地元の人がそこでお金を使ってくれる、地元の人が楽しんでいると、きっと観光客にも「おっ?」という形になるんじゃないかなあ、と。

と、行ったこともないのに言ってますが、やっぱり同じ九州のお祭り、応援しています。

子供の夢…

年末のある日。退社後すぐに北九州に用事があったので、新幹線で小倉へ。
九州新幹線が博多まで伸びて初めての新幹線ホームだが、あんまり違和感ないなあ。やっぱり九州新幹線の利用者数がちょっと心配になるんだけれども、まあ。

次の列車は新大阪行のこだま。「1号車の先頭にはドアはありません」…500系だった。

いやあ、いつみてもかっこいいなあ。1996年に登場した500系、今見てもインパクトのある丸く細い、わかりやすい流線型の車体、独特のメタリックなカラーリング。とにかく速く、を具現化したようないいデザインだ。
その輸送力の低さ故に短期間の活躍に終わり、ここ山陽新幹線で8両に短縮され「こだま」として運用についている。

先頭車の窓からのぞくとこんなものが。


知らなかった、子供用の運転台がついているのね。

単なるダミーではなくて(もちろんダミーなんだけど)、マスコンを入れると速度表示が連動したりATS表示灯が点灯したり、と結構凝ったつくりらしい。背後のスペースが大きく空いているのは、父母+ほかの子供の順番待ち用?
2009年に登場だそうだからもう2年、最近そういうニュースを見なかったから、かもしれないけど全く知らなかったよ。子供がいる鉄道ファンの人は知ってたりするんだろうか。

残念なのは、この子供用の運転台のほかはまったく普通の新幹線、という点。子供用の運転台も、1編成にいくつかあっても(極端に言えば車両ごとに)いいような気もするし、家族旅行向けの新幹線、って売り出し方ってできないんだろうかね。山陽新幹線のこだま、って乗車率がいつも低い様なイメージなんだけれども(東海道新幹線ぷらっとこだま効果?)、運転席、ギャラリー、子供連れで遊べるスペース、それを前面に売り出せば土日だけでも結構いけるんじゃないかいな。そういう意味では九州の戦略は明快といえば明快だ。
九州に帰って気づいたのは、今の生活だと本当に鉄道なんて乗らないということ。高校に電車通学…くらいじゃないと、本当にまったく乗らないまま大人になることも十分あり得ること(天神に出るときくらいか)。その延長で、レジャーも当然車で…なんだよねえ。